集まった寄付金を持って、宮城・石巻を訪問しました

我々エニシングが創業後、ずっとお世話になっていたモノづくりの街・東京、すみだ。
その墨田の若手経営者のリーダーが深中メッキ工業の深田稔氏。
震災の2週間後に、私が「兄貴」と慕う、深田さんからメールがあった。
「ちょうど1カ月前(2月10日)に石巻で講演をした。その時に自分の講演を聞きに来てくれ、
懇親会も一緒だった経営者の何名もの方が今回の震災・津波でいまだに連絡が取れていない。
多くの方が亡くなったようだ。その石巻に、長期的に'何か'していきたいと思っている。
西村君、日本応援Tシャツを作って、みんなに買ってもらって、寄付金を石巻へ届けよう。」
早速「日本応援プロジェクト」と名付け、
日本のものづくり、Made in Japan にこだわり、きちんと日本のものづくり技術を残していらっしゃる職人さんたちにも仕事、お金、が回るようにし、
代金の一部を石巻(市役所)へ年に2回、長期に渡って届けよう、という活動がスタートした。
デザインは、一人一人が日本を支えていこう、という想いから、「人」ひとりひとりが日本列島を作っていくよう表現し、背中には「心」の文字と2時46分を決して忘れない、との想いを表した。
たくさんの方に購入いただき、Tシャツ240枚分の「120,000円」が集まった。
遠くはアメリカ、ヨーロッパなど海外の在住の方も購入いただき、
また千葉・鴨川で神社をやっている友人岡野氏の好意で、鴨川のお祭りでも鴨川市民の方たちにご協力いただいた。
我々の地元、小金井の方にもたくさん買っていただいた。
7月15日、深田社長と、仙台駅前からバスで1時間半、
高速道路を通って石巻へ。
途中で話した50代くらいの女性の方は、
自分の高齢の両親が石巻にいるので、
週に何度かこうしてバスで通っている、とのこと。
幸い、両親の家は1階に水が入ってきた
(床から噴き出してきた)が、
両親は無事だった、と言われていた。
市役所へ到着し、皆さんからお預かりしていた寄付金を届けることが出来ました。
ここに報告させていただきます。
ありがとうございました。
その後、翌16日には、現地で不足している
パソコン、プリンターなどを持参し、墨田区の若手経営者5名が合流。
交流のある石巻の津田さん(魚の卸販売店さん)を訪問し、それらを無事渡すことが出来た。パソコンなどは地元の経営者仲間で使ってくれる、とのこと。
(写真中央が津田さん。海から数百メートルにお店、ご自宅があったが、津波で1階が住めない状況になっており、仙台に仮住まい中とのこと。わざわざ仙台から我々のために来てくれた。)
その後、津田さんの案内で、石巻の沿岸部へ。
海沿いの街がひとつ、なくなっていた。
(写真は高台から見下ろしたところ。ここに戸建ての住宅がびっしりと建っていた。
が、今は大きな建物しか残っていない。)
火災で黒焦げになった小学校の校舎のコンクリート、
工場から流されてきた大きな大きな何トンもある部品、
自分の友人の家がどこだったかも分からなくなったという津田さんのお言葉、
大量に発生しているカモメ、ハエ、
そして匂い...
僕らはとりえあず「がんばれ東北!」と一括りにして言ってしまうが、
沿岸部のこの状況を見てしまうと、その言葉は適切ではない、と感じた。
(写真は、海沿いの缶詰工場の大きな看板。流されて道路中央に置かれたままになっている)
最後に津田さんにも、日本応援Tシャツをプレゼントさせていただいた。
話は変わるが、私の石巻の訪問は、大学生の時以来約15年ぶりだった。
その時は東京から「みちのくプロレス」を小さな体育館に見に行ったなあ...。
その地にこうしてくることになるとは...。
皆さんにご協力いただいたおかげで、今回の石巻市役所訪問が実現しました。
この場を借りて再度お礼を申し上げます。ありがとうございました。
東北の復興支援、及び、日本のものづくりの継承、そして我々日本人ひとりひとりが今よりもっと夢を持てる元気な世の中、社会に!
それらの活動をこれからも続けていきます。
石巻、そして東北、日本、ともに生き抜いていきましょう。
今、生きているこの瞬間に感謝し、大切に。
ありがとうございました!
(そして、この場をかりて、声をかけていただいた、深田兄貴、
そしてものづくり面で協力してくれたTシャツの久米繊維工業 久米秀幸さんにお礼を申し上げます。)

有限会社エニシング(縁+ing)
西村和弘
*Tシャツはまだまだ発売継続中です!
http://www.anything.ne.jp/nipponfukkou1.html
*第2弾商品も間もなく発売します!
投稿者 anything
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