エニシング

伝統の'1号前掛け'をオーダーで1枚からオリジナル製作

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前掛けと神社、そして化粧まわしとの関係

MAEKAKE

前掛けの下側に垂れている「ふさ」。
この「ふさ」が何に由来するか、ご存じですか?

実は、この「ふさ」は神社のしめ飾りに由来すると言われています。

神社のしめ飾りは、ワラを束ねた「ふさ」を 垂らしています。
しめ飾りは、神を祭る神聖な場所を他の場所と区別するために縄を張る「しめ縄」のことで、一種の魔除けの役割を果たしてきました。
新年に家の入口に「しめ縄」を飾るのも、悪い気(邪気)が家の中に入らないようにするためです。
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しめ飾りの意匠といえる「ふさ」を身に付けるものとしては、相撲で力士が着ける化粧まわしがあります。
MAEAKKE

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元来、相撲は神事で、五穀豊穣を願い、神に奉納したものであったことからも、力士が着ける化粧まわしに「ふさ」が付いているのも合点がいくのではないでしょうか。

前掛けは、「ふさ」だけでなく長い腰ひもにも意味があります。

前掛けの腰ひもが紅白の2色を基本とするのは、紅白でおめでたいことから。さらには、商売繁盛の意も含みます。

紅白といっても、赤ではなく、黄味がかった赤である朱色。
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朱色は、魔力に対抗する色とされ、神社の社殿や鳥居に多く用いられているのも、そのためです。
前掛け帯

また、朱色は橙(だいだい)色とも言いますよね。
橙は実を落とさずに年を越すことから「代々だいだい」と称し、縁起のよい果実とされました。正月飾りに橙があしらわれているのもそんなゆえんからです。

縁起を担ぎ、魔力や厄災から身を守ることから、前掛けのひもには朱色(橙色)が使われているのです。

ちなみに、現在、エニシングの前掛けは、前掛けの産地である豊橋で製造していますが、腰ひもは福山市神辺町で製造しているものを使用しています。
福山は備後絣、ワーキングウエアの産地として知られる地。豊橋と福山に共通するのは、どちらも綿糸を扱う技術基盤がある点です。
腰ひもも前掛け生地を織るときに使うシャトル織機を使い、製造されます。

綿100%で、しっかり、かつ伸縮性のある織りである点が、豊橋の前掛け生地と共に職人技の感じられる逸品です。

古くから言われる「前掛けは腰にいい」は本当なのか!?

古くから日本で使われている仕事着・帆前掛けは、としっかり丈夫な生地と帯で、腰をしっかり締めるため
'気持ちが引き締まる'と同時に、
「重たいものを持つ時に腰を守ってくれる」
「付けていると腰が痛くなりにくい」

という、古くからの言い伝えがあります。

そのため、酒屋さん、お米屋さん、材木屋さん、など重たいものを持つ職業の仕事人たちに使われてきました。

果たしてそれは本当なのか?また、どこを締めれば効果があるのか?

専門家の先生に聞いてみよう!と、東京・調布市で『いしざか整骨院』を営む、柔道整復師・石坂先生に話を聞きに行ってまいりました!

Q:早速ですが、よろしくお願いします!
前掛けを絞める事によって「重たいものを持っても腰が悪くならない」「腰を守ってくれる」など、
昔から頻繁に聞くのですが、実際に先生から見てどんな効果が期待できますか?

石坂先生:結論から言うと、前掛けを締めると、腹圧をかけることになりますので、昔の人が「重い物を持つときの腰痛予防に役立つ」というのは正解と言えますね。
腸骨を絞める事によって腰が締まり、腹圧がかかる。それによって筋肉が起きて「腰の関節が安定」する。そういう部分で、前掛けは腰にいいと思います。

Q:なるほど。効果的な前掛けの絞め方を教えてもらっていいですか?

石坂先生:絞め方については、まずは、位置ですね。腸骨という骨盤の上のところですね。男性ですと、ちょうど「ベルト」のあたりです。
ウエストの所の骨をグッと締めてください。一番出っ張っているいわゆる腰骨の上の位置です。

Q:男性ですと、ベルトを付ける位置よりちょっと下なのですね!

石坂先生:そうですね。もうちょっと下の'骨盤(腸骨よりも3~4㎝下:指2本くらい下)'を締めるやり方もありまして、それも効果あります。
例えば、産後の人とかは骨盤の位置をグッと締めて家事などされてもいいでしょう。骨盤が締まれば股関節も安定しますので。
ほぼベルトと同じ腸骨を締めてもいいし、骨盤(腸骨よりも3~4㎝下の所)でもいいし。目的に応じて2通りの位置があります。

Q:絞め方の位置は2通りあるんですね、分かりました。その他ポイントはありますか?

石坂先生:息をしっかり吸って、軽く、少しだけ吐いたときに絞めること。片や'骨盤ベルト'は吸って、吐ききったときに絞めるのが効果的ですが
前掛けはそこまでやらなくてもいいです。吸って軽〜く吐いて絞めるといいでしょう。あまり腹圧をかけすぎてしまうと用途が違ってきますので。
あとは基本的なことですが、後ろから前に回した時に前でしっかり結んでください。

Q:分かりました!息を吸った後に軽く吐いて締めるんですね!!!

石坂先生:もう一度まとめますと、腸骨のところぎりぎりに引っ掛けるか、骨盤(腸骨より3~4㎝下)に、吸って、軽く吐いてぐるっと回し、前で結ぶ。これがポイントです。

Q:ちまたで良く聞く「骨盤ベルト」との違いは?

石坂先生:骨盤ベルトは、締めたい場所によって形や種類も様々ですが、前掛けなら、それ一つで、絞める位置をかえるだけで、違った効果が得られますね。
あと、骨盤ベルトと違って、付けていても蒸れないのがいいですね。
それにしても昔の人は良く考えましたね。江戸時代から続く、という前掛けは理にかなっていますよ。

Q:本日はありがとうございました!!

石坂先生:いえいえ。お役に立ててよかったです。

ということで、今日学んだポイント3つ!

1、締める位置は「ベルト」あたり!腸骨(ちょうこつ)という出っ張った腰骨あたりを締める

2、締めるときには、息を吸った状態で(少し吐きながら)前でグッと締める

3、(とくに産後の)女性は、腸骨よりやや下の「骨盤」を締めても効果あり!

ということで、「腰の負担を軽減してくれる」は本当のようです。
前掛けってやっぱり昔からの人たちの知恵が詰まっていたんですね!

*注:もちろん個人差があるでしょうし、腰痛が前掛けしていると治る、などと言うことはありませんのでお間違いの無いよう着用してくださいね。

今回お話をお伺いしたのは、柔道整復師・石坂先生
先生の医院は東京・調布市、調布駅から徒歩12分、スーパーマルエツの隣にあります。
腰、首などの治療が専門、とのことですので、訪ねてみてください。

■いしざか整骨院
調布市調布ヶ丘 1-18-76 アンバサダー調布 1階(京王線調布駅から徒歩12分)
TEL 042-497-6622

(記事担当:西村)

テキスタイルラボ視察~オランダティルブルク

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10月、シャトル織機を使ってものづくりを行っている仲間の経営者さんたちを誘い、オランダへ行ってきました。
目的はオランダ南部・ティルブルグにあるテキスタイル・ミュージアム訪問とミュージアム内にある「テキスタイル・ラボ」の視察です。

参加したのは 倉敷帆布の武鑓さん、会津木綿の山崎さん、トヨタ産業技術記念館の成田さん、テキスタイルデザイナー楠野さん、そして、豊橋の芳賀さんと私です。

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ミュージアムのあるティルブルグは、オランダ第6の都市。首都アムステルダムから車で1時間ちょっとの郊外にあります。
毛織物の産地として栄えた都市で、最盛期は1950~60年代
13の毛織物、綿織物工場がありましたが、時代と共に仕事が中国へ流れ、一気に衰退。工場はすべて廃業したといいますから、日本と似たような状況だったことが分かります。

その廃業した工場跡を活用して設けられたのがテキスタイル・ミュージアムです。その中にある「テキスタイルラボ」を視察し、大いに刺激を受けました。

ここはラボという名の通り、小ロットで生地開発できる研究所です。周辺から集めた織物機械を使い、専門家に教えてもらいながら、自分で作りたい生地を制作できます。

ミュージアムにはかつて活躍した伝統的で希少な織機が展示され、織物技術の変遷を知ることができますが、ラボに設置されている多くはコンピュータと連動した割と新しい機械です。

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ここにあるのは機械だけではありません。デザイナー、アーティスト、学生、そして、繊維業界以外の異業種・異分野から集まった"新しい人たち"が生地の開発や商品化のための実験に取り組んでいます。

ラボには職人やデザイナーといった生地を作る専門家のほかに、大学でテキスタイルを専攻する学生のインターンシップもいて、年齢も幅広いです。

専門外の人でも新しいテキスタイルの開発・商品化が自由に行えますが、まず、ラボの審査を受ける必要があります。どんなものを作りたいのか、考えや目的をまとめたレポートを提出するのです。
ラボは、新しい商品を開発しようという目的意識と意欲を明確に持つ人を受け入れるという姿勢で対応しています。

制作する生地に関しても「試作のみ、量産はしなくてよい」という考え。
試作できるのは200メートルほどの生地までで、それ以上は対応しないという姿勢を貫いています。
量産をするための場ではなく、あくまで実験の場であるということ。

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量産することよりもオンリーワンのものづくりに特化し、
目的を持って訪れる人には広く門戸を開き、ラボにいる"新しい人たち"と関わることで、ものづくりを志す人が成長するための実験場といったところでしょうか。

見学ができるだけでなく、ここでものづくりを経験すれば"新しい人たち"と出会え、そこから新しいものづくりに向けた縁も生まれる仕組みが機能しているわけです。

日本のこれからのものづくりの形、そして仕組みを作っていく上で、オランダのテキスタイル・ラボの取り組みから数多くの刺激とヒントを得ることができました。

(エニシング 西村)

イギリス産業革命と日本のシャトル織機のつながり

2015年から、毎年イギリスでの展示会に出展しているのですが、渡英したとき、この織機についてまさに「縁(えにし)」を感じる話を聞きました。

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(写真は、イギリス国立 科学産業博物館 サイエンスミュージアム)

英国では18世紀にリチャード・アークライトによって紡績機、綿を細かく梳き、紡績しやすくするカード機などが発明されます。
この発明により糸が大量生産されるようになり、イギリスの産業革命を大きく牽引しました。

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(写真は大英科学博物館にて撮影)

その後、100年以上の時を経て英国から日本へ技術が伝わり、豊田佐吉氏をはじめとする日本の発明家たちの手で、織機の機械化・自動化が進みます。

佐吉氏はもともと豊橋近くの遠州(静岡県湖西市)の生まれ。豊橋のある三河地方は織物の産地で、織機の発明により生産に弾みがついたこともあり、日本の繊維産業の発展の礎を築いたのです。

豊田佐吉氏によって発明された織機の中に「N式広幅動力織機(N式織機)」があります。
これは、海外へ輸出する綿布の需要に応えるために開発された広幅の織機です。日本の着物の反物の幅は36センチの細幅ですが、広幅は約50センチ。このサイズは前掛けの生地を織るのに適していたことから、前掛けの房をつけるための改造が行われ、前掛けの製造にN式織機が使われるようになります。
ちなみに、前掛けの房は、神社のしめ飾りに由来するとも言われ、神聖な意味合いがあり、相撲の化粧まわしにも使われています。

このN式織機を母体に、全自動化し、世界一と評されたG型自動織機が後に誕生します。

エニシングの豊橋工場では、10台の織機が今も現役で活躍していますが、そのうちの2台はN式織機です(昭和24年製造)。

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織機の歴史をたどると、産業革命時の英国にたどり着くことを、イギリス・ロンドンにある国立の科学産業博物館(サイエンス・ミュージアム)を訪れたとき、学芸員のBen氏から聞いて知りました。

ちなみに、G型自動織機はイギリスの企業に特許権を譲渡したご縁で、ここに展示されているとのことです。
また、2018年の今年も再び訪れてみたいと思います。

※豊田佐吉氏と織機のかかわりはこちらを参照
「トヨタ」と「豊橋前掛け工場」の密接な関係
http://www.anything.ne.jp/maekake/arch/2014/12/post_496.html

(記事作成:西村)

大正時代の伊藤忠で締められていた前掛け

前掛け

100年前の前掛けから、現在海外で使われている前掛けまで、合計120種類を展示。

東京青山、伊藤忠商事「伊藤忠青山アートスクエア」にて「ニッポンの前掛け展」が開催されました。

1858年、初代伊藤忠兵衛氏により近江で創業した「伊藤忠商事」のコーポレートメッセージは
「ひとりの商人、無数の使命」。
ニッポンの商人の象徴とも言える前掛けはぴったり、とのことで実現し「伊藤忠商事と前掛け」についての歴史を紐解いたパネルも掲載されました。

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~パネルの一部を掲載~
1915(大正4)年の「伊藤忠合名会社店法附則内規集」のなかに定められている「衣類標準規定」には、伊藤忠においては「小役」以上の者は全員が「前掛」を着用することという記述が見られます。この「前掛け」は「青縞」、藍染した糸で織り上げた無地木綿地のものに限られていました。非常に実用的な意味合いで使用されていたことが判ります。
創業以来「前掛け」は用いられたと思われますが、いつまで使用されていたのかは不明で、おそらく1918(大正7)年ころまでは着用されていたと考えられます。(伊藤忠商事様調べ)

このように、実際に前掛けは明治時代にも働く人達の体、腰、着物、を守り、正装の仕事着として使われていたことが分かりますね。


実際の展示前掛けについては、日本一の前掛けコレクター・オオタマサオ氏所蔵の、全国ソースメーカーの前掛けや、日本酒蔵の前掛け、エニシング製作の海外のレストラン前掛けなどコーナー別に計120枚を展示。

期間中に開催されたトークショーは50名の定員がいっぱいになり、豊橋の前掛け職人、杉江秀介氏による型紙彫の実演なども行われ、日本伝統文化の前掛けの魅力を多くの方々に伝えることが出来ました。

前掛け

前掛け

前掛け

前掛け

前掛け


「ニッポンの前掛け展」
●主催 ニッポンの前掛け展実行委員会(有限会社エニシング、豊橋帆前掛振興会)
●共催 伊藤忠商事株式会社
●後援 経済産業省関東経済産業局、愛知県豊橋市、豊橋商工会議所
●協力 オオタマサオ
●会期 2015年9月10日(木)~9月27日(日)
●会場 伊藤忠青山アートスクエア
(東京都港区北青山2丁目3-1シーアイプラザB1F)

前掛け

(記事:西村)

「トヨタ」と「豊橋前掛け工場」の密接な関係

前掛け
(中央に豊田式織機株式会社の印字が見える、N式織機)

愛知・豊橋で作られるエニシング製前掛けは、「トヨタ製」の織機(しょっき)で今も織られています。

豊田の創始者、豊田佐吉氏は、1867年、豊橋市の隣り現在の「静岡県湖西市」で生まれ、1890年に発明された、豊田式木製人力織機に始まり、1909年「L式鉄製自動織機」、1914年「N式広幅動力織機」、1924年世界一と評された「G型自動織機」へと織機の研究開発を進められ、日本の経済発展に大きく貢献されました。

G型織機の特許をイギリスのプラット社に譲渡し、長男豊田喜一郎氏が国産自動車の研究開発へ、という歴史があります。

前掛けで現在も使われているのは「N式織機」。大正3年(1914年)に発明されたのもで、現在の前掛けを織っている織機は、戦後の昭和24年に製造されたのものが今も現役で動いています。

分厚く、やわらかい前掛け本来の生地の風合いは、この昔ながらのシャトル織機だからこそ表現が可能です。

日本の産業発展、ならびに豊田の歴史とも密接に関わる日本の前掛けとその織りの技術を、大切に後世につないでいきたいと思います。


前掛け

前掛け

(*こちらの内容は、2012年豊田自動織機様の「豊橋工場」調査をもとに、在ニューヨーク日本国総領事館での「ニッポンの前掛け展」にて発表した内容です)

100年前~現在までの前掛け120枚!「ニッポンの前掛け展」

100年前の貴重な前掛けから、現在世界各国のレストランなどで使われているニッポンの前掛け。

400枚以上の歴史ある前掛けコレクションを持つ、日本一の前掛けコレクター・オオタマサオ氏と、
エニシング製作の前掛けを計120枚集め、「ニッポンの前掛け展」を開催しました。

第1回目の会場は、山梨県北杜市の明治時代に建てられて小学校が博物館になっている「津金学校」。
前掛けにぴったりの雰囲気の中、前掛けから見る、日本の商業の歴史の紹介や、
現在の前掛け、ならびに伝統の製造方法の紹介などを行いました。(2014年10月~11月の2カ月間)

前掛け

前掛け

前掛け

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●展示期間  2014年10月9日~11月30日
●場所  津金学校 (旧須玉歴史資料館)
山梨県北杜市須玉町下津金2963

●オオタ・マサオ(写真家)
1949年静岡生まれ。早稲田大学卒業後、かなりロングにぶらぶらし、36歳で写真家となる。
現在、写真家として活動する一方、コレクターとしても収集の日々。
「広告キャラクター人形館」(ちくま文庫/1995)、「琺瑯看板―懐かしき昭和30年代を訪ねて」(小学館/1999)
写真集「アキュミュラス」(スーパーエディション)などがある。

●西村 和弘 前掛けエニシング(東京・小金井市)
2000年創業。東京小金井にて日本伝統の前掛けを制作。愛知県豊橋の産地の職人たちと共に、アメリカニューヨーク
などでも個展を開催。絶滅寸前だった前掛けに命を吹き込んだ会社として、テレビや雑誌にも数多く取り上げられている。

260年の歴史と共に...「岩田屋」様記念前掛け

博多の街で愛される百貨店「岩田屋」さまの260周年記念に、前掛けを制作いたしました!

岩田屋様の歴史は古く、江戸時代1754年、宝暦4年に岩田屋呉服店として創業し、
博多天神の街で百貨店として愛され続けています。

4月1日~発売開始されましたが、初回製造分がなんと1日で完売とのこと。
現在は次回製造分を予約受付中、とのことです。
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デザインは、岩田屋ご担当者さまと相談しながら、弊社デザイナー小倉が、当時の新聞チラシや、リーフレットから
起しました。

岩田屋さまの歴史と、前掛けとが融合した結果、博多の皆さまに愛される前掛けが完成しました。
(東京からも買いに来られた方がいらしたそうです)
ありがとうございました!

●岩田屋さまホームページより
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●岩田屋さまウェブサイトはこちら
http://www.i.iwataya-mitsukoshi.co.jp

創業時のロゴを入れ復刻!東急ハンズ渋谷店35周年記念前掛け

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東急ハンズ渋谷店35周年記念 前掛け!
2006年当時、前掛け製造を開始し、ま~ったく売れなかったころからお取り扱い、
応援し続けてもらってきた東急ハンズさん。前掛けの恩人、と言えるお店です。
この度、東急ハンズさんで「限定35枚」のプレミアム前掛けが発売されました。
(発売後、数日で完売しました。)

昭和53年に開店した東急ハンズ渋谷店の35周年を記念して
35枚限定で前掛けを作らせて頂きました。

■前掛けについて■
1 商品名:東急ハンズ渋谷店35周年記念前掛け
2 素材:最高級'前掛け1号帆布' 綿100%
3 サイズ:横47センチ×縦67センチ
4 東急ハンズ渋谷店の歴史:開店昭和53年
  2013年9月で35周年
5 一般販売あり:5,300円(税込) 35枚限定
6 販売場所:東急ハンズ渋谷店B-1 C
7 発売期間:2013年9月14日(土)~(売り切れ次第終了)


(東急ハンズ渋谷店  →ホームページへ
〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町12-18
営業時間:午前10時~午後8時30
TEL:03-5489-5111

創業当時に使用していた貴重なユニフォームのエプロンから
ロゴマークを復刻。35周年にふさわしい記念の前掛けが
完成しました。

日本雄一の前掛けの産地、愛知県豊橋で織られた厚手の
"前掛け1号帆布"。文字は染め抜かれ裏面にはN0.1 ~35の
シリアルナンバー入り!!

90年の時を超えて~井崎化学研究所様前掛け

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大正~明治にかけて、大分・長濱町で営業されていた「井崎化学研究所」様。

何の研究をされていた会社さんだと思われますか?

ご子孫の井崎様が、新聞記事を見られエニシングショールームを尋ねてくださいました。

持って来られたとっても貴重なお写真は「大正終わりごろに撮影されたもの」で、こちらの前掛けを復刻し、親族へ配布したい」とのご依頼です。

お聞きすると、なんと『ソース』の製造会社さんで、当時は大分~長崎で営業されており
全国的にもソースの研究、商品化の先駆けのような会社様だったとのこと。

井崎様前掛け今でこそ、ソースと化学、と聞くと、離れているようにも感じますが、
当時は化学の研究と、食、は元は同じ、もっと密接な関係があったことが分かります。

また、写真からは日本の仕事文化のひとつである「旦那さま」と「若い衆」の関係も推測できます。
おそらく中央左にいらっしゃるのが、世のため、社員・家族のために、全体最適を考えて仕事をしていた「旦那様」。
前掛けとハッピをつけてらっしゃるのが若い衆の皆さまでしょう。

1枚の写真から、当時前掛けとハッピを再現。

最後に井崎様と記念撮影させていただきました。

約90年の時を超えて現代に再現された前掛け。
井崎様、大変貴重なお仕事をさせていただき、どうもありがとうございました。
(担当:西村)

半世紀前の前掛け『型紙』2000枚、豊橋で見つかる

「仕事」がまだ暮らしと結びついていた時代、前掛けの型紙(かたがみ)約2000枚発見

愛知県豊橋の前掛け工場から見つかった、40~50年の前掛けの「型紙」2000枚。
その1枚1枚に、日本の商業と、前掛け職人の手仕事の歴史そのものが詰まっています。

例えば「蒟蒻屋(こんにゃくや)」さんの前掛けや、バケツ屋さんの前掛けなどもあるのですが、
当時はまだ、仕事、と人々の暮らし、が分離していなかった時代。
今の時代、我々が忘れてしまった日本の暮らし、食、商業、家族、など大切なものを教えてくれているようです。

豊橋帆前掛地織振興会の皆さまと共に、
2012年11月のニューヨークでの展示会を皮切りに、いろいろなところで皆さんへ知っていただく、
感じていただく機会を作って行ければと思っています。
世界の人たちにもきっと共感してもらえると思いますので、信じて進みます!

完全復刻前掛け


■完全復刻前掛け第一弾「競馬食品前掛け(1960年代の型紙)」■

完全復刻前掛け
この度『完全復刻前掛け』第一弾として、愛知県豊橋にあった「競馬食品工業」前掛けを製作しました。
帆前掛振興会会長・杉江氏から当時、競馬食品を経営されていた方へ連絡させていただいたところ
「ずいぶん前に会社はなくなっているが、今も型紙が残っていたのか...」
と喜んでいただき、今回実現の運びとなりました。


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(競馬食品工業さまとは?)
豊橋の皆さんにお聞きしたことをまとめますと
社名の由来は「豊橋競馬場」から来ているようで、競馬場は1925年(大正14年)~1931年(昭和6年)という短い期間にありました。前掛けに書かれている通り「シロップ」や「サイダー」を当時は作られていたようで、30年くらい前に会社は辞められたそうです。「豊橋の人たちは良く競馬印サイダー飲んでいたよ」とのこと。
戦前戦後の豊橋の子供たちに愛されていたのでしょう。また、前掛けを作られていたくらいですから(前掛けを作る、ということは大量に作り、配布する「販売店」が多かったということ)、繁盛していたことが推測できます。
詳しくは、実際に経営されていた方に直接お会いし、前掛けも渡し、お話聞いてきます。
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完成しました!!!こちらが約40年ぶりに染め上った前掛けです!
完全復刻前掛け
型紙も古いものですが、生地自体も、40年以上前に織られた『ガラ紡』。
ガラ紡とは?クリックしてください

完全復刻前掛け

■原点前掛けデータ■

1 作品名:完全復刻前掛け第一弾「競馬食品前掛け(1960年代)
2 製造年月:2012年6月
3 素材:40年以上前に織られた'ガラ紡'前掛けを使用 綿100%
4 サイズ:横45センチ×縦67センチ
*昔の生地は今よりも幅が狭い
5 原点の歴史:型紙は40年以上前の物をリメイクし使用
6 一般販売:あり 

昭和30年代まで営業されていた、製麺所さまの前掛けを復刻!

昭和30年代まで営業されていたという、東京・小平の製麺所「田中製麺所」様の前掛けを製作させていただきました!


「昔、製麺所をやっていたお爺さんを元気付けられたら...。仕事していた頃を思い出してほしいので、前掛けを贈りたいのだが...」
と、9月のある日、Aさんがエニシングへ訪ねて来られました。
持ってこられたのが、当時、麺を入れていたという木箱に貼ってあったラベル。そのラベルをもとに、早速デザインの描き起し作業に入りました。

真ん中にはかわいい招き猫の絵。そして「北多摩郡小平村 田中製麺所」が右から書かれています。

ちなみに、昭和37年から現在の東京都小平市になっていますので、このラベルが作られたのは、昭和20年代~30年代中ごろ、と思われます。


ラベルを参考に作らせてもらい、完成したこちらの前掛け!

親族の方が、製麺所をやっていたお爺様へ「当時を思い出して、少しでも元気を出してもらえれば...」との想いで作られました。

我々エニシングも、このような歴史を飛び越えて少しでもお役にたてる仕事に無類の喜びを感じます。

数週間後、お爺さまに前掛けを贈り、ご本人が着用された際のお写真を持ってきてくださいました。

「お爺さんにもとても喜んでもらえた。」「1枚のラベルをこのような前掛けにしてくれたことがうれしい。」と感想を言っていただき、
お爺さまの前掛けを締めて凛と立っていらっしゃる姿を拝見し、我々エニシングスタッフもとても感激しました。

また、プレゼントされたA様の言われた、「木箱のラベルだけだと、数年後には無くなってしまうかもしれないが、前掛けにしておくと、少なくともあと何十年かは持つでしょ!」と言われた一言も印象に残りました。

本当にありがとうございました!

■原点前掛けデータ■

1 作品名:東京小平「田中製麺所」 '原点'前掛け
2 製造年月:2011年9月
3 素材:'前掛け1号帆布' 綿100%
4 サイズ:横47センチ×縦67センチ
5 原点の歴史:昭和30年代ごろまで製造していた製麺所の木箱ラベルから復刻
6 一般販売:非売品(ご家族皆様で製作)

(担当 西村)

63年を経て実現~伊勢丹立川店で伊勢丹'原点'前掛け!

~伊勢丹立川店創業当時のロゴを使った限定'原点前掛け'~

*2011年9月28日からの伊勢丹立川店での催事で発売開始。早々に完売しました。
多数お越しいただきましてありがとうございました。

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*写真は、担当の真野さんほか、社員の皆様です。ありがとうございました。スーツに前掛け、もカッコいいですよね!

...  ...  ...  ...  ...  ...  ...  ...

2011年9月28日~10月3日の6日間、伊勢丹立川店7階催事場で行われた

チアアップ 立川・多摩・武蔵野「~地元再発見~ 秋の味祭展」

に合わせ、伊勢丹立川店が創業した当時(1947年10月:昭和22年)をイメージした「原点前掛け」が限定販売されました。

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伊勢丹立川店創業当時のロゴマークや、当時の新聞広告などを参考に、伊勢丹ご担当者と
前掛けプロデューサー西村が話し合いを重ね、当時の雰囲気そのままに作成。
(最終的なデザインは、私・潮田がやらせていただきました。当時は立川売店って言ったそうですよ!)

まさに、伊勢丹立川店さんの'原点'とも言える前掛けです。販売数量は「50枚」ですのでこれはレアものですよ。


■原点前掛けデータ■

1 作品名:伊勢丹立川売店 '原点'前掛け
2 製造年月:2011年9月
3 素材:最高級'前掛け1号帆布' 綿100%
4 サイズ:横47センチ×縦67センチ
5 原点の歴史:昭和23年、63年前に開店
6 一般販売:限定50枚(既に発売終了)
7 販売場所:伊勢丹立川店 7階催事場 
伊勢丹立川店 新店舗開店10周年 チアアップ 立川・多摩・武蔵野「~地元再発見~ 秋の味祭展」

皆さま、どうもありがとうございました。

(担当:潮田)

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(追記)
*イベントの模様です
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*1号帆布で作った前掛けかばんも人気です!
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慶長元年~昭和の酒蔵さん前掛けを復刻

昨年のある日、弊社サイトの愛読者といわれる三重のK様より1通のメールをいただきました。
「慶長元年~昭和にかけて愛知三河でお酒を造っていた実家の酒蔵の前掛けを復刻出来ないだろうか?」
「親戚一同で集まる際に配布したい」というお問い合わせでした。

前掛け前掛けに関する何らかの資料が残っていれば、
ぜひ見せていただきたい...とご連絡し、
探していただくと、出てきたのがこちらのお写真。
大正時代に従業員の皆様が、品評会受賞を記念して
酒蔵の前掛けを締めていらっしゃる、すばらしいお写真です。
「勝誉(カツホマレ)」という銘柄で作られていた、
とのこと。

前掛け早速、弊社で写真を見ながらデザインを起こすことから
始めました。
当時の「ひげ文字」を、写真を見ながら出来る限り
再現し、染め抜きで前掛けを製造しました。

前掛けやりがいのあるお話をいただき、
せっかく数十年ぶりに再現させていただいた
前掛けなので、宅急便でお送りするのも...、
と思い、直接、三重のK様へお届けに向かいました。

(向って右がK様、左が私です)


前掛け 親戚一同の皆様も、数十年ぶりに再現された勝誉の前掛けを見て愕き、大変喜んでいただけたようです。
三重のK様より夢が叶いました!とメールを頂きました。

「時を越え、復活した前掛け! 夢が叶いました。」
すばらしいですね。どうもありがとうございました!

■原点前掛けデータ■

1 作品名:酒蔵「勝誉(カツホマレ)」 '原点'前掛け
2 製造年月:2009年4月
3 素材:定番'前掛け2号帆布' 綿100%
4 サイズ:横47センチ×縦67センチ
5 原点の歴史:慶長元年~昭和にかけて愛知三河に当時実在した酒蔵
6 一般販売:無し 非売品

(担当:西村)