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2005年9月取材:バリ島Tシャツショップ経営 バルバングン 田中氏

「もうこれは確信を持って言えるんですけど…
3年後もバリ島のウブドでTシャツ屋をやってますね、確実に。
間違いないですね。」

 旅行好きだった日本の大学生が、コネも人脈もないインドネシア・バリ島に渡り、Tシャツショップをオープン…、ブランド名はBarubangun バルバングン。
そんなフツーじゃ考えられない棘(いばら)の道を敢えて自分から歩む男、田中利典26歳。
(Tシャツビジネス塾第1期卒業生)
 日本に一時帰国した彼に、ワタクシ酔っ払い社長・西村が、彼の日本の自宅近く・横浜の居酒屋でビールを5杯+日本酒4合飲みつつジンギスカンをつつきあい、、ロングインタビューを行ってきました!!

*Barubangun公式サイトはこちら

田中氏がデザインし、現地の職人さんたちが一点一点手で作っていくバティック染めの逸品。

以下、インタビュー

 - 無事、帰国、おめでとう!かんぱーい

「かんぱーい、あーうまい!!久々の日本のビールだなあ!!バリからの帰りに、タイをゆっくり回って帰ってきたばかりなんですよ。」

 - そうですか~、田中さんは今は、バリ島でTシャツ屋さんを営んでるんですが、以前、バックパーカーで世界を周っていたんですよね??

「最初は、オーストラリアに半年いたんです。その後、帰国して、お金貯めて、再出発しました。
それからが始まりですね。インドネシアのバリ島から入って、シンガポールに行きました。そのあと、マレーシアを北上して、タイと移動して、その後、インドへ飛んでいろいろやりましたね。その後ネパールに行きました。ネパールは、バリの次に長かったなあ、1ヶ月ぐらい。
その後、タイに戻ってきて、またまたバリに戻りました。」

 - なぜバリにまた行ったんですか?

「やっぱりいろんな国に行ったけど、バリが一番だったんですよね。
バリ島でも、一番有名なクタ(ビーチ)ではないんですよ。」

 - クタはみんな観光で行くところだよね?

「そう、でもバリじゃなく、ウブド、芸術の街なんですけど、そこに惚れ込んでしまいましてねえ~
最初の3日間はクタに行ったんですけど、全然楽しくなかったんですよ。
そこで、現地の人に「ウブドは良いよ」っていう話を聞いて、クタを去ってウブドに行ったんです。」

 - 現地の人って?

「マックをやっているおじさんですね。」

 - マックってマクドナルド??

「そうなんですよ、たまたま出会って、ウブドの話を聞いたんです。
つたない英語で話をして、「ウブドは芸術の村だ」って。
4日目にすぐにウブドに行ってましたね。」

 - 話は戻りますけど、最初オーストラリアにいたっていうのは?

「バックパッカーの旅の前に、オーストラリア半年でワーホリ(ワーキングホリデー)してました。」

 - ワーホリって仕事してたの?

「そう、オーストラリアの農場で働いたり、現地のカメラマンのアシスタントをしたりして生活費を稼いでたんです。それから、アジアを周ろうと思いました。それがバックパッカーのきっかけですね。」

 - オーストラリアで働いてたのは何歳のころ?

「:21~22歳のころですね。大学生のころです。史学科に通ってたんですよ。
幕末にハマってしまいまして…。竜馬とか…、いいなあ、と勉強してたんですよ!」

 - えー、今のバリ島の田中さんからは想像できないね~(笑)
周りは就職活動するでしょ?不安じゃなかったの??

「幕末の人たちじゃないけど、何か自分もやってやりたいなあ、と思って。
就職は自分の道じゃない!とそのころから思い始めて、考えれば考えるほど、選択肢に入らない!と強く思うようになって。
その後、建設現場でずーっと働きながら、お金を貯めてましたね。
力仕事ですよ、荷揚げです。きつかったけど楽しかったですね。
そこでオーストラリアに行くお金をためて、現地に渡りました。」

 - なんで建設現場を仕事場として選んだの??

「なんでかな~?でも、やっぱり人生、苦労して生きたいじゃないですか。」

 - 苦労して生きたい??

「やっぱり、その方がいいじゃないですか。大変だけど、お金ももらえて、カラダも鍛えられて、いい仕事でしたよ。」

 - それでオーストラリアに半年いて、日本に帰ってきて…。それでまた日本を飛び出すんだよね?帰ってきた時には何をしてたの?

「また、建築現場で仕事して、お金稼いでましたね。建築現場のほかにも、飛行機のペイントを落とす仕事もしてました。これも大変だけど、楽しかったなあ~
飛行機の機体の柄を翼の上に昇って落とすんですよ。特殊な薬を使うから、マスクしてやるんですねど…。」

 - それで十分、稼いだと…。

「そうです、海外周るんだったらそんなにお金いらないですし。でもバリじゃなくて、最初は半年行ってたオーストラリアにまた行って、ラウンドって言われるオーストラリア大陸1周をしようと思ってたんですよ。」

 - でも、なぜオーストラリアじゃなくて、バリに行ったの??

「それが、人生の大きなきっかけになったんですけど、荷揚のバイトしていた時の先輩の方に、海外に行くなら、って一冊の本をもらったんですよ。
ロバート・ハリスって人の「エグザイルス・ギャング」って本なんですけど…。「エグザイルス」の2冊目です。世界を放浪しているアウトローの話なんです。」

 - へ~、その先輩にも興味があるね。

「そうそう、その人も子供の頃、親の仕事の関係で世界を転々としていた方なんです。」

 - その方に、本をプレゼントされたと…。

「本自体は、オーストラリアでお店を開業した人の話なんですよ。本屋さんをやって、いろんなアーティストが集まって…。
その中でバリ島が非常に魅力的だと…。」

 - ピン!と来たんですね?

「そう、ぜひ行きたいなあ、と思って。バリに行って、その後アジアを回ってやろうと。それで、バリのウブドに行ったらハマってしまって。」

 - どうしてウブドなんだろう?

「しっくり来るんですよね~。バリ島のウブドの雰囲気は、観光ではなく’住める’街なんですよ、僕にとって。」

 - ウブドって芸術の街なんだよね?

「そう、クタ(バリ島の有名な観光地)とも、他のアジアの国々とも違う…。小さな街なんですけどね。そこで新しいスタートを始めたんです。」



大家さんでありおじいちゃんであり有名な画家であるワヤンジュジュルさん

 - その後、バティックTシャツを作ることになると思うんだけど、それは何がきっかけだったの?

「もともとTシャツは好きだったんですが、ウブドで暮らしていくには、何かこの街で作って暮らせたらいいなあ、と。そこで自営業をしたいなあ…と。3年前ですね。」

 - ’自営業’をしたかったんだんだ?

「そう、自営業をしたかったんです。ネパールにいるときにも現地の雑貨を日本に売る仕事もしてたんですが。
ウブドにいても、すぐには始められないから、向こうでバイトしてたんです。ある人の紹介で怪しい仕事もやりましたね~。
その後、自分自身で何かやりたいなあって思って。とにかく、自営業がしたかったですね。」

 - へ~それも意外だなあ…何で自営業にこだわるの?

「それは自分の足で走っていたい、って気持ちが強いんですよ。家がサラリーマン家庭っていうのもあると思うけど、その反発か、何か自分の力で生きて行きたいんですよね。
サバイバル、世界どこに行っても通用する力をつけたいっていうか。」

 - なるほど。

「たとえ会社員で、そこを外れても、自分で生きて行きたいっていう。
そこで、ウブドで、「仕入れ」じゃなくて、何かを作りたいと思ったんですよね。最初はプリントTシャツで「Asian Alley」っていうブランドのTシャツを作ったんですよ。アジアの横丁って意味なんですけど。ひどかったなあ~あれは。
自分は普通のプリントTシャツを作りたいんじゃないって分かった…。」

 - それからバティックを作るようになったの?専門的な技術がいるものでしょ?

「そう、大変なことだけど、でも楽しいんですよね。バティック職人さんの下について、必死で勉強したんです。月謝払いながら。」

 - やっぱり努力してるなあ…

「家に帰っても繰り返し繰り返し、復習して。それでやっと、バティックの基本を知って、ようやく見栄えのするTシャツが出来るようになったなあ。
そこから、もっと良いもの、もっと良いもの、と。徐々に職人さんにも指示が出来るようになったんです。」

 - 今までで一番の作品は何ですか?

息吹!もう、これが一番ですね。オーストラリアのアボリジニーの楽器の有名な奏者がバリに来て、ライブを見に行ったんですけど、それに感激して。そのイメージを書き殴ったら、出来たんです。あれが一番ですね。イメージをTシャツに、ゼロから1にしたのも初めてでしたし。」

 - そうですか~、そこでまた成長したんですね…
田中さんの作品は、全部一枚一枚手で職人さんが作ってるんだよね?

「そうですよ、最初は真っ白の大きな生地ですからね。そこに蝋(ろう)をのせて、染めて、蝋(ろう)を取って、縫い子さんが縫ってっていう、大変な作業なんです。
僕は原画を作って指示をしているんですけどね。作業は職人さんがやります。」

 - 最後に、質問!3年後には何をやってますか?

「もうこれは確信を持って言えるんですけど、って言っても、最近タイを回りつつ確信に変わったんですけど、3年後もバリ島のウブドでTシャツ屋をやってますね、確実に。
間違いないですね。」

 - 素晴らしいなあ、ありがとうございました。
お互い頑張りましょう。

「こちらこそ、かんぱーい!!」



大家さんのお孫さん2人とティンクリック

(インタビュー後記)

「やっぱり人生、苦労して生きたいじゃないですか。」
人生には、幾度となく分かれ道がある。立ち止まり、誰もが悩む。
大学生の頃から、常に道を自分自身で「(他人から見て)苦労しそうな」道を選び、進んでいく彼。
一人、言葉も通じない見知らぬ地に立ち、店を開店させるそのエネルギーを、この言葉が象徴していると感じた。
頑張れ、田中利典 26歳、ウブド在住、日本男児。


2005年9月 田中氏の日本の自宅近くの居酒屋にて

★取材スタッフ 西村(右)


投稿者 anything : 2007年1月 4日 21:12

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